ネット上の掲示板で匿名で大胆な態度の書き込みがされやすいのと、「車を運転すると人が変わる」ということには、何か関係があるような気がしてならない。
多くの場合、自動車に乗ると金属とガラスの覆いの中に守られて、外からは直接顔が見えにくくなる。これは「安全」かつ「匿名性」が高い状態と言えるのではないだろうか。ではなぜそこで「人が変わる」というように大胆な行動に出やするなる場合があるのか。
匿名性を持った状態での行動というのは、間接的に何かを操作する、あるいは演じるということになるんじゃないかと思う。ネットの場合は言葉によって演じ、車の場合は車の運転によって演じるといった具合に。
これは小さい頃にぬいぐるみやおもちゃを使って仮想の会話をしたり、それに成りきって遊んだりすることにも通じるような気がする。そうしたことが出来るのも、心理学などで言われる「安全基地」のように、親や大人に守られているという安心感があってこそなのではないだろうか。
しかし、大人になると、外から何かに守られているという安心感は得にくく、自分のことは自分で守るしかない場合が多い。そうした中で他人とコミュニケーションをしようとするとき、環境ストレスと自分の間に安全マージンをとる方法として匿名を使うというのは自然なことなのかもしれない。また、意図的でなくても匿名性のある環境に置かれて安全であることが感じられたときにも、安心感から大胆な行動もとりやすくなるのかもしれない。車でも、オープンカーに乗った場合は違った感覚なんじゃないだろうか。余談だが、学生時代、クラブの合宿に行くのに暑いからとドアを外したジープで高速道路を走ったことがあったのだけど、横を通り過ぎる車からジロジロと見られてちょっと恥ずかしかった(笑)
もう一つ、匿名性の話題が出るとよく比較される、海外では実名投稿が多いという話。しかし、例えば英語圏ではアルファベットだけだし、もともと実名であっても匿名性が高い状態なのではないだろうか? 海外では日本人の名前よりも同姓同名率が高いとか、絶対的人数が多いとか、地理的に広く離れて分布しているなど、匿名性を持ちやすい要素が多くありそうだ。そうした実名の意義自体に違いがあるのなら、実名であるか匿名であるかだけで議論できるものではなくなりそうだ。