white croquis

思索と探索のクロッキー帳。オーディオや音楽の話題、レビューなども。

自然の動物園化? 〜「生物多様性」の意義と「動的平衡」〜

少し前にトキの放鳥がニュースになっていた。

環境省_平成21年度 トキ放鳥の日程について(お知らせ)
http://www.env.go.jp/nature/toki/
http://ibis-info.blog.ocn.ne.jp/diary/http://www4.ocn.ne.jp/~ibis/station/index.html

日本では野生のトキはすでに絶滅していて、佐渡島に最後の個体が生息していたということで、中国から連れてきたトキをそこで繁殖・定着させようという試みだ。現在すでに150羽以上になっているという。

しかし、そもそも絶滅したのは原因はどうであれ必然の結果であり、絶滅してしまった生き物を人の手で再び繁殖させたとしても、現在の環境の中でその種が生態系の一端を担えるかどうかは、別の問題のような気がする。
生物はなくなったら「補充」するというようなものなのだろうか。見方によっては動物園にいた動物が死んでしまったので新しくよそから連れてきた、というのとそれほど変わらないことのように見ることもできる。

かつてそこにいたからそれがいる状態を維持しなければならない、あるいは現存する種はすべて保存するべきだという「種の保存法」の考え方は、「天然記念物」や「レッドデータブック」といった希少性や格付けによって生まれたコレクター趣味的な要素はないだろうか? 本当にすべての種は遺伝子資源として保存しないといけないのだろうか?
生物種を生態系の中の特定の機能を持った部品としてとらえるような、機械論的機能主義の考え方のような気がしてならない。

生態系は「動的」にバランスする

ある生物が環境の変化などで減っていく過程で、生態系はその生物がいがなくてバランスするように変化してきたはずだ。時間スケールは数十年〜数百年として考えた上で。
ここでポイントは、この「バランスする」ということの意味は「以前と同じように」ではなく「その時点のその場に合った形に」という点だ。もう一つ「人間の利害や感情とは無関係に」という点を付け加えてもいいかもしれない。

「生態系」は教科書に載っている絵のように静止したものではなく、常に様々な外的・内的要因の影響を受けて変化する動的な系(システム)だ。だからこそ大きな環境変化が起きてもすべての種が絶滅することなく、30数億年にわたってここまで続いてきているのであろう。
生物界では状態のよしあしはどうであれ、バランスする状態「極相」に向かう。これも前述のように静止した状態ではなく、中は常に動いたり入れ替わったりしている。これがいわゆる「動的平衡」とよばれる状態で、これは個々の個体の体についても言え、生物界は複雑に入れ子になった動的平衡によって成り立っている。

動的平衡」についてのわかりやすい解説:
解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「ミツバチ異変と動的平衡」 (Internet Archive)

その中でマクロな構造、生態系の動的平衡を可能にしているものの一つが「生物多様性」ということになる。

しかし巷の「生物多様性」の文脈では種の保存という側面ばかりが目立って、本来の生態系の動的平衡を担うものであるということがうまく伝えられていないように思う。動的平衡においては、ある特定の種が生存し続けることは必要条件ではない。

たとえば、「環境goo」の生物多様性について解説したページを見ると、次のような記述がある。

「便利な乗り物である車も「様々な部品」が組み合わさって動力をなしているのは言うまでもない。しかし、その部品の1つであるシャフトが外れたりでもしたらどうだろう。当然ながら動力をなすはずの車は動かなくなってしまう。
(中略)
このように生物独自で生きることができるわけではなく、個々の役割がつながり、生物として存在することができている。これが「生態系」と言われるものである。先ほどの車のようにここに1つでも欠けることがあれば、そのつながりが成立しないのだ。」

生物多様性 - コラム - 緑のgoo

確かに、短い時間スケールで考えるとそうした見方もできるかもしれないが、この考え方だけに基づいてしまうと、ある種は絶滅することなくずーっと存在し続ける必要があり、その状態が維持されるとすれば、時間がたっても生物が「進化」すらしないことになってしまう。
逆に、それくらい短い時間で変化が起きているのだということを物語っているとしても、どんな手を打つべきか?ということを考えるに当たっては、この静的な世界観に基づいてしまうと判断を誤りかねないと思う。

動的平衡」で世界をとらえることの重要性

生物界をかたち作っている動的平衡の視点から改めて「生物多様性」について考えると、ある特定の種に固執するのではなく、環境が変化したりある特定の種がいなくなっても別の種によって新しいバランスを作っていけるということ、つまり絵に描いた生態系の構成要素を考えるのではなく、バランスさせている=動的平衡を生み出している要素に注目して考えることが重要なのではないだろうか。

動的平衡」については、以前にも別の視点から次のようなエントリーを書いている。

静的な「完成」から動的な「システム」の世界へ - white croquis

「ある条件下で予め設定した一定の状態に達したとき「完成」と呼ばれる。しかし、「完成する」ということ自体が相対的な概念なので、前提となる条件が変わればその状態は「完成」ではなくなってしまう。

自然界では物事は常に変化していて、これで出来上がりとかこれで終わりというものはない。「完成」というのは人間の都合で生み出された概念なのだろう。」

生態系に限らず、世の中には「動的平衡」システムになっているものが多くあるように思う。例えば企業組織だって動的平衡系ととらえることができる。

物事を動的にとらえるというのは、実際のところ容易ではない。
しかし、物事を考えるときに時間スケールや時間変化を意識することで、ある程度は動的にとらえやすくなるのではないかと思う。
本やネットなどで得られる情報は静的なものであることが多い。しかし農業や林業、漁業など、日頃から自然と向き合っている人たちは常に時間スケールでの自然の変化を体験しているし、過去の記録や歴史を知ることも、時間スケールの変化を知ることができる。

動的平衡」は、行き詰まった機能主義の時代から脱却するためのキーワードの一つだと思う。

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