「科学的」という言葉には2種類の意味があるように思う。
- 客観性、普遍性を持った科学に基づく本来の意味での「“科学”的」
- 科学風、学術風であるという意味での「科学“的”」
前者はいわゆる正真正銘の科学。後者は前者を含む場合もあるけど、一見科学のようで前者の科学とは言えないもの(疑似科学)も含むもの。これがごっちゃになったまま話をするとおかしな事になってしまう。マスメディアの使う表現は後者が多いように思う。学者が話しているからと言ってその内容が科学的であるとは限らない。
天動説と地動説を引き合いに出すまでもなく、「科学的」であることや「普遍的」であることは長い時間スケールで考えれば相対的なものだ。それが『99.9%は仮説』と言われる所以でもあるし、数学のようにある前提の下で論理的・演繹的に決まる事象以外は、厳密には「客観的」「普遍的」と言えなくても、「便宜上」そうであるとみなすことに合意を得ている、といったものがほとんどだ。だからこそ、過去に科学的と考えられていたことが今では非科学的とされるといったことが起きうるし、科学者の間で理論が正しい/正しくないの論争が起きる。
ところで、理系の学生であっても科学的なもののとらえ方や考え方が出来ているとは限らない。ロジックだけでもなんとかなるかもしれない(?)工学系に比べると、自然科学系の専攻の場合は科学的な考え方が往々にして必要になるので、それを身につけられる機会は多いかも知れない。でも、工学系であっても「実験」を「まともに」やっていれば自然に身につきそうな気もする。そもそもは学校などでまともにそれについて教えていないのが問題かも知れない(少なくとも教わった覚えがない)。
でもこれが、社会人になって仕事を進めたり会議をしたりする上でとても重要なスキルだと言うことを学生に教えてあげたい。
↓「科学的」であることを「疑似科学」との比較からとても丁寧に論じた本。より深く科学哲学に迫りたい人向け。
P.S. fotolifeのアップロード画面のレイアウトがSafari2→Safari3で一段と崩れたような気がする…