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脳は楽をしたい? ~「納得」することの目的 ~

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脳は基本的に楽をしたいのではないか? と最近よく思う。そう考えると説明のつきそうな事柄が多いからだ。

例えば「納得」という行為。

恐怖や不安、悩み事があるとき、原因がわからずにあれこれ憶測して納得のいく答えが見つけられないでいると、精神的に不安定な状態になりやすく、苛立ったり絶望したり果ては狂乱や自殺にも至りかねない。しかし、たとえ根拠が無くても「○○のせいだ」などと信じたり「納得」することですっきりしたり、不安や心配が和らげられ気が楽になるのは、多くの人が体験していることであろう。(もちろん納得だけがこの働きをするわけではないが)

「納得」はたとえ非論理的でも根拠が無くても本人がそう思いさえすればよく、一度「納得」すればその件についてはそれ以上頭を使う必要がなくなり、脳の負荷を下げることができる。いわば脳の安全弁のような働きをしているとも言えそうだ。 また、不安や心配による脳の負荷は単に物事を考える場合の脳の負荷と違い、自律神経系の働きにも影響を与えることが予想されるため(食欲がなくなる、脈拍が上がる等)、負荷を下げることは本体の生存にとっても重要な事項であり、他の物事にも増して「納得」することが急務なのかもしれない。

現在では科学的に説明が出来ることも、かつては全く違った仮説による説明(神や想像上の生物など)がされていたのは、なんらかの説明をつけて納得しておかなければならなかったためではないだろうか。そう考えると、宗教などの信仰や原理主義は「あらゆる事象に包括的に納得するためのソリューション」ととらえることもできそうだ。

しかし、「納得」や「原理主義」は別の言い方をすれば思考停止・思考放棄でもある。知的活動のためには常識を疑ってみたり批判的に物事をとらえるということは欠かせない。事実、既存の「納得」をより論理的で科学的思考に基づいた「納得」に置き換える作業を繰り返すことで科学は進歩してきたし、既存の「納得」に異論を持たない人たちと対立してきた歴史もある。何か少しでも「納得」できないことがある限りこれは続くであろう。

脳に楽をさせてばかりでは何も進歩しない。「納得の根拠は常に主観の中にある」ということを忘れずに、脳を上手に調教していきたい。

(goo blogより移植)