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「面倒くさいこと」の原理

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生来の面倒くさがりである。

常日頃、いかに「面倒くさいこと」をしなくて済むかについて考えているが、「面倒くさいこと」とは概ね次の要素から成り立っているのではないかと思う。

a) その行為を行うまたは行おうとする主体に、その行為に対する動機が欠けている。
b) その行為の手順や方法、あるいはその行為を包括する系(システム)に何らかの問題がある。

さらにこの2つの要素の間には、a が b に依存する関係、つまり面倒くさいかどうかはまず「動機」の有無によって決まり、動機は手順や方法の改善可能性や主体の置かれる立場などに依存する、という関係がありそうだ。

例えば、現時点で最善の(あるいは~と行為者が信じている)方法で行う行為については、原理上それ以上の改善が見込めないという前提条件が動機となって、手数がかかるとしてもその行為をそれほど面倒には感じないことがある。
しかし改善の余地が見込める場合や、労力に対して得られるメリットが少ない(あるいは~と行為者が感じる)など「系」に問題がある場合は動機が低下し面倒くささが増大する。
ひと昔は当たり前だったことが今ではとても面倒に感じたり、同じ作業でも人によって面倒くささの感じ方に差があるのもこれで説明がつくであろう。

いくら面度くさがりと言っても、面倒くさいことを回避し続けているとそれが蓄積し、ある時点で災難(=とても面倒くさいこと)に変わることがある。言うまでもなく、

「とても面倒くさいこと」>「面倒くさいこと」

である。
後々に「とても面倒くさいこと」が発生することが予見される場合は、多少面倒でも予め「少し面倒なこと」をしてそれを防いでおいたほうが後で面倒くさくないのである。

(goo blogより移植)

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