以前から考えていて、ことある度に人に話している仮説。
企業などの組織をデザインする際、まずうまく動くために必要な個々の「機能」を取り出して仮想化した仕組みをつくり、それに部署や人やモノを当てはめていってはどうだろうか。
「部署」や「人」ではなく「機能」を単位として組織をとらえることで、機能によっては必ずしも「部署」や「人」がそれを担うのではなく、システムや環境側でその機能を果たせるかもしれない。最終的にそれがうまく「機能」しさえすればよいのではないか、という考え方。
「人」を単位としてとらえた場合の落とし穴
中小企業や大企業の中でも小さな単位の部署など、比較的少人数の組織では、人々の物事の認識の中心は「人」になるのではないだろうか。「これについては○○さんが詳しい」「あれは△△さんが知ってる」といった具合に。
しかし、その「人」がいなくなったとき、別の人をそのポジションにあてがっても、それまでその「人」が果たしていた「機能」が果たせないと、組織からその「機能」が抜け落ちてしまうことになる。
掃除などのように、その機能がなくなると(汚れてきて)周囲から自動的にフィードバック(汚いなぁと思う)が働いて補完されるような機能ならまだしも、目には見えにくい機能を果たしていることも多いのではないだろうか。
そうすると、人が1人いなくなっただけなのにどうしておかしくなってしまったんだろう?あるいは、機能がなくなっているのに気づかずに今までと同じやり方をしようとして、あれっ?ということになりかねない。大きな組織の中での「部署」も機能でとらえた分け方であろうけれど、ここで言う「機能」は部署や職制に限らず個人が果たしているような、もっと細かいものだ。
「ファンクショナル・アプローチ」
ちょうどこれと似たような考え方について書かれた本を、今日の会社帰りに本屋で見つけた。
内容について詳しくは、
- 『ワンランク上の問題解決の技術』(横田尚哉)|横田尚哉のファンクショナル・アプローチ&バリュー・エンジニアリング
- ワンランク上の問題解決の技術《実践編》 視点を変える「ファンクショナル・アプローチ」のすすめ - 俺と100冊の成功本
に書かれているのでここでは省略するとして、要は抽象化して本質的、概念的思考をしましょうということだろうか。本書では、「ファンクショナル・アプローチ」という響きのよいタームと共に、著者の実績に裏付けられた具体的なテクニックが書かれていて興味深い。ただ、似たような考え方は他の分野で別の呼び方をされていることが多々ありそうな気はする。
「機能でとらえる」という考え方や「そもそも論」で考えるやり方は、業務をモデリングする上では普通にやっていることであろうし、システム開発の上流工程では日常的な作業であろう。
しかし、組織の設計・運営という局面においては、組織全体という大きなレベルでの「機能」について語られることはあっても、個人が担っているような「機能」ベースでのデザインについてはあまり語られないような気がする。
組織(=システム)がどんな「機能」で成り立っているかを知る
大企業では組織のデザインは「部署」や「役職」によって事実上は概ね「仮想化」されているため、属人的なものが比較的排除されているであろう。
しかし、中小企業を初めとする少人数の組織にとっては、部署や役職で必ずしも仮想化されておらず、役割のはっきりしない役職や兼任という状態が多いと推察される。こうした条件下では、組織全体での機能のデザインよりも個々の人が果たす機能を中心にデザインを考えた方が現実的なのではないだろうか。
そのためには、まずその組織がどういった「機能」によって成り立っているのかを知る必要があるだろう。「機能でとらえる」という考え方の背景には「システム論」やその基盤となった「生態学(エコロジー)」が思い当たる。「機能」を知るためのヒントはそうしたところにあるのかもしれない。