「何かやらなきゃ次はない: DESIGN IT! w/LOVE」を読んで、以前、ふと次のようなことを書いたのを思い出した。
例えば会社などで何か仕事をしている人(同僚や後輩、部下など)に、「今、何をやっているの?」と聞く代わりに「今、何の準備をしているの?」と聞いてみるとどうだろう。
これを仕事の中の「ある工程」に限らず、もう少し広く考えると、少なくとも今この瞬間にやっている「何か」は将来の「可能性」のためにやっていると言うこともできそうだ。どこかに出かけるのも、ご飯を食べることも、寝ることも、動機が何であれその瞬間で完結する行動ではなく、「その次」があるからこそ成り立つのだと思う。「行動」というものがそもそもそういうものなのだろう。当たり前と言えば当たり前のことか。
将来ではなく「今を楽しむ」という言葉もあるが、時間スケールを短くして秒単位で考えれば、同じ事なのかも知れない。
そうすると、冒頭のリンク先の記事にもあるように、あとはそれがどの時間スケールで考えられるものであるかによって、その行動の意義やその行動による影響の度合いが変わってきそうだ。これは先日のエントリー「やってみる」ことは自分の外にあるものを求めること? - white croquisにも通ずるものがありそうだ。
ここで今改めて、自分や他人に次のように問いかけてみる。
「今、やっていることは、将来のどんな可能性を期待してのこと?あるいはどんな可能性を広げそう?」
「可能性」には仮説のように具体的なものもあれば、漠然としたビジョンのような抽象的なものもある。「可能性」がある限り、人は何かをやり続けることが出来るし、それをやる意義を感じられるのだと思う。