社内ネットワークやPC、ライセンス等の管理を自主的に行うようになって久しい。
規模が大きくなりつつあった中、誰もやろうとする人がいなかったので、このままではまずいことになるぞとボランティアで始めたのが発端だ。
今では、百数十台のクライアントPCと十数台のサーバ、スイッチ類やソフトウェアライセンスなど諸々を本業の傍ら一人で兼務で管理している。さすがに最近は本業よりもこちらの方が比重が大きくなってきた。
ネットワーク管理とは
「ネットワーク管理」というと、機械的なイメージがあるかもしれないが、そもそも社内ネットワークやPCは、ある何かの目的のための手段に過ぎない。中心になるのはコンピュータやソフトウェアではなくユーザだ。何をしたいかはユーザが決めることで、そのときにユーザが余計なことを考えずに使えたり、何をしても危険にさらされないようにお膳立てしたり支援したりするのが仕事といえば仕事。テクノロジーよりも「ユーザー」にフォーカスする重要性
情報インフラを考える上で一番コアになるのは、認知科学、認知心理学の考え方だと思う。ある環境・条件下にユーザが置かれたとき、ユーザはどのような行動をとるか。ここでユーザの頭の中の認知モデルを想定する。
ユーザがある環境に置かれたり、ある画面や情報を見たとき、認識がどう変化するか。そしてその認識の変化によってどんな行動が生み出される可能性があるか。その可能性の中に結果としてリスクをもつものはないか。半年後、数年後の状況を想定するとどうか・・・と仮説を立てながら考えていく。
そして、ユーザがリスクに曝されずかつ利便性を教授できるように、提示する情報をコントロールし、機器やソフトウェアをそれに見合うように用意する。もちろん、機器やソフトウェア側の要件や制約を考慮しないといけないが。
全体最適で考える
こうして複数のユーザを想定して考えていくと、自ずと全体最適化の考え方になる。ここで言う「全体最適」とは、端的に表せば次のような考え方と言えるかもしれない。
「ユーザが幸せになるけど、結果として不幸になる可能性もある方法」よりも
「ユーザが幸せになるとは限らないけど、不幸にはならない方法」を優先する。
その上で、「より多くのユーザが幸せになる方法」を考える。
だから、一部のユーザが熱望しても、それによって別のユーザが不幸になる可能性が予見されるような方法は一斉展開できない。
まずはユーザーが「幸せになる」ことよりも「不幸にならない」手段を
「ユーザが幸せになるとは限らないけど、不幸にはならない方法」をとったことで、一部のユーザの反発にあうこともある。しかし、ユーザがそれをどう思っていようといなかろうと、最終的にユーザがあるリスクから保護された状態になることがまずは先決なので、リスク回避の観点からはやむを得ない。悩ましいところだ。その上で、より多くのユーザが幸せになる方法を考えることになければならない。すべてをうまく運ぼうとすれば充分な説明と根回しが必要なのかもしれないが、一人で割けるリソースは限られている。
ITシステムも社会システムも根本は同じ
この構図は、社会一般に見られるある構図とよく似た部分がある。それは秩序を維持する仕組み、例えば法律やルールだ。法律といっても幅は広いが、例えば基準や規制をする法律の場合、何も考えていなくても基準値さえ守っておけば、ユーザは少なくともそれに関連した一定の範囲においては保護される(=不幸にならない)。全てのリスクを国家レベルの全体最適で考えられるなら自分で基準値を設定することが出来るが、それは現実的ではないので、予め法律という形で便宜を図っているに過ぎない。だから、部分最適で考えれば厳しすぎる(=幸せになるとは限らない)と思えるようなことがあるのはやむを得ない。
どの範囲での最適を考えるべきか、どういう状態を目指すべきかは、法律やルールにとってもネットワークの秩序にとっても必要な問いだと思う。