人やものの価値は、それが置かれる状況・環境によって相対的に決まると思う。
希少価値の高いアイテムが、マニアの間では非常に高い価値があっても、そうでない人にとってはただのガラクタに等しいかもしれない。人であっても同じこと。同じ人でも、置かれる立場や周りの人や環境によって、「できる人」になったり「できないヤツ」になったりする。
ある物体の質量は、その物体のまわりの全ての物体との関係で決まる。
これは、物理学者にして哲学者のエルンスト・マッハ(1838 - 1916)が見いだし、アインシュタインに相対性理論へのヒントを与えたと言われる「マッハの原理」だ。(マッハについては http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0157.html に詳しい。)
しかしこれは、価値 (value)の評価を含むおよそ幅広い概念においても成り立ちそうな気がする。
例えば、茂木健一郎氏がクオリア・マニフェストで提唱する「認識におけるマッハの原理」がそれを示している。
認識において、あるニューロンの発火が果たす役割は、そのニューロンと同じ瞬間に発火している他の全てのニューロンとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ニューロンは、他のニューロンとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するニューロンには意味がない。
実は「マッハの原理」はこのクオリア・マニフェストで知って大きな感銘を受け、それまで音速の「マッハ数」を生み出したことくらいしか知らなかったエルンスト・マッハに関心をもつきっかけになった。
心理学、認知心理学の世界にも似たような考え方がある。
知覚は単に対象となる物事に由来する個別的な感覚刺激によって形成されるのではなく、それら個別的な刺激には還元出来ない全体的な枠組みによって大きく規定される。ー ゲシュタルト心理学 - Wikipedia
物事や価値はすべて相対的に決まる。話し合いをする上で、双方が絶対的な概念を基準する限りは理解し合うことは出来ないだろう。「理解する」ということは「既存の概念に対して相対化する」と言い換えてもいいかもしれない。
絶対的な概念を認めたら負けかなと思っている。「生」と「死」を除いて。