white croquis

思索と探索のクロッキー帳。オーディオや音楽の話題、レビューなども。

3.11 が教えてくれたこと

3.11」。

今では日本人なら誰もが忘れられない、あの出来事を意味する言葉として、固有名詞となりました。

戦後の復興から高度成長を成し遂げ、IT化社会へと、概ね文明としては真っ当な進化を遂げてきた社会に突然訪れた自然の脅威。そして高度成長期から2011年までの間、産業や家庭を支えてきたエネルギー源としての原子力の「ダークサイド」の露呈。

地震津波を直接体験していない人にとっても 3.11 以降、様々な想いや教訓を得たり価値観が変わった人も多いと思います。

あれから3年が経とうとしていますが、未だに避難生活を余儀なくされている方々も多く、NHKなどでも連日放送されているように、災害としてはまだ現在進行形であることが伺えます。

しかし、現地から遠く離れた地域ではほぼ日常に戻っています。そうした風化しようとしている人々の関心を呼び起こすため、 Yahoo! Japan が、3月11日に "3.11" というキーワードで検索することで、1検索あたり10円を寄付金とし、復興に役立てようとキャンペーンを行うようです。

3.11、検索は応援になる。 - Yahoo!検索

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実際、Google トレンドで見ると、年々「東日本大震災」や「3.11」での検索が減ってきていることがわかります。

もしあの時インターネットがなかったら…

不幸中の幸いと言えるのかどうか、Twitter での情報によって多くの命が救われたという話も聞きます。
「インターネット」はもともとアメリカ国防総省の研究機関「DARPA」が。核攻撃など大規模なネットワークの破壊に耐えうるネットワークとして開発された技術とも言われています。

研究自体は当初は軍事目的ではなかったという話もありますが、結果として「分散型ネットワーク」として、一部が破壊されても自動的に最適なルートで通信できる仕組みとなっていました。

それが今回、大災害において有用なことが名実ともに証明された形になりました。

また、Google もすぐに専用ページを立ち上げるなど、IT化時代ならではの対応にも注目が集まりました。

錯綜する情報によって「情報リテラシー」が試された

当時、情報が錯綜していました。政府の公式発表やマスメディアの情報も二転三転し、パニック回避のための情報統制が裏目に出て、憶測が飛び交い、ツイッターなどSNS上でも「デマ情報」が蔓延しました。
政府は、現在のインターネット時代には、従来型の情報提供スタイルが通用しないことを、痛いほど実感したのではないでしょうか。

また、同時に情報の真偽を判断する「情報リテラシー」が個々人に課せられ、情報の発信によってその程度が露呈するというリトマス紙のような現象が起きました。
現実を直視し、客観的な情報に基づいて「全体最適」で解決策を探ろうとするリアリスト(現実主義者)の建設的な意見よりも、知人からの伝言ゲームを鵜呑みにして情緒的、感情的(理想主義的)意見が多く目立っていたように思います。

特に、芸術や音楽、文学など、感情や情緒に訴えかけ共感を得ることで生業としている「著名人」が声明出すことで、一部の人々の熱狂的な支持を受けるという現象も起きました。

正直な所、自分自身、そうした著名人のある意味「無責任」な態度に、一部の著名人に対する見方が大きく変わりました。そうした著名人による今まで好きだった作品を敬遠するようになったのも事実です。

多種多様な価値観をまず受け入れることが何よりも大切

とかく、ネット上では両極端な過激な意見が多く飛び交い、全く議論が噛み合っていないシーンを何度も見かけました。

自分の感情や情緒を納得させるための意見は、自己満足でもあり自己中心的と言われても仕方がないと思います。大切なのは、まずはバイアスを外して相手の意見を聞くこと。人間は「納得したい生き物」です。建設的、現実的な議論は同じ土俵で議論しなければ議論として成り立ちません。

そして、現実の社会が抱える問題の多くはシンプルなものではありません。現実主義者から理想論者に対して、よく「シングルイシューで考えてもしょうがない」と言われます。「シングルイシュー」というのは、ある問題について一つの側面だけで判断してしまうことです。

しかし世の中はそんなにシンプルではありません。「複雑系」という言葉を持ち出すまでもなく、社会の物事は複雑に絡み合いトレードオフの相互関係を持つ「システム」になっています。その「システム」全体を捉え、全体最適解を目指していくのが社会としての、民主主義の目指すべき姿と言えるのではないでしょうか。

開いてしまったパンドラの箱

人類は文明の発展の過程で、いくつものパンドラの箱を開いてしまいました。大航海時代に始まる「海外交易」、瞬時に情報を世界中に伝達してしまう「通信」。そして、極めて少ない質量で莫大なエネルギーが得られる「原子力」。

一度開いてしまったパンドラの箱を元に戻すことは出来ません。いくら拒否しようとも、避けて逃れることは出来ません。これらとどううまく付き合っていくかがこれからの大きな課題です。そして、どれも部分最適ではなく全体最適で考えなければならない事柄ばかりです。

エネルギー問題は情緒や希望では解決できない

日本のエネルギー問題について、先月、資源エネルギー庁が「エネルギー基本計画」の原案(PDF)を公開しています。エネルギーにはそれを取り巻く様々な厄介な事情がありますが、そうした「事情」がこの「エネルギー基本計画」原案には書かれています。これにはぜひ一度目を通してほしいと思います。

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※この図はリンク先PDF「政府の原案」の最終頁の添付図を見やすく加工したものです。

大自然の摂理にしたがって日々変動し、「人間によってコントロールできないエネルギー」への依存度を高めるなら、生活や産業をそれにあわせたものにシフトする必要があるでしょう。しかし、安定したエネルギー供給を前提に創り上げてしまった現在の産業と社会、生活を持続するには、どこかに妥協点をもたざるを得ません。日本だけがある方向性を示しても、他の国々が同じ考えを持つとは限りません。

何をしたときに、何がどうなってしまうのか、ある程度予測ができる分野もあります。エネルギー問題は問題自体よりも「妥協点」に人々がどう「納得」できるか、が最大の難関です。そのためには個々人の情報リテラシーの底上げが最重要課題ではないかと思います。

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