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思索と探索のクロッキー帳。オーディオや音楽の話題、レビューなども。

学校の図書室が想像力の源だった(のかも)

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「学校の図書室」で印象が強く残っているのは、小学校の図書室。小学生時代は、休み時間の度に図書室に行って本を探したり読んだりするのが楽しみで、ほぼ毎日のように本を借りていた。もちろん校庭にも遊びに行くが、図書室に寄ってから出るということが多かった気がする。

そんな小学校の図書室の本で特に印象に残っているのは、『少年少女 20世紀の記録』シリーズと『ドリトル先生』シリーズ。
『少年少女 20世紀の記録』は全40巻のノンフィクションのシリーズで、全巻はそろってなかったと思うけど、どれもワクワクしながら読んだ覚えがある。地球や自然、科学技術への関心は、学研のひみつシリーズと並んでこのシリーズに負う所が大きいかもしれない。
少年少女 20世紀の記録 あかね書房 (表紙はこんな感じ)

ドリトル先生』シリーズは、小学生向けにしては字の多い、上下2段組みの読み応えのある長い物語で、夢中になって読んだ覚えがある。同名のハリウッド映画もあるけど原作とはかけ離れた全くの別物。今でも売ってるみたいなので、やっぱり人気のシリーズのようだ。 [asin:4001140225:detail]

他にも、図書室で借りた本は数知れないが、冒険ものやSFなど想像力をかきたてるものを多く読んでいたように思う。この頃読んだ本の記憶は、映画を観た記憶と同じように、読んだ時に頭の中で勝手にイメージしたビジュアルで覚えていて、今でも時々、本を読んだ時にイメージした世界の夢を見ることがある。しかし、不思議なことに挿絵や漫画本のイメージはほとんど記憶に残っていない。物語を読むという行為は想像力を働かせるには格好の材料だったのかもしれない。

中学校になると、図書室を巡る状況は一変した。普段は図書室に入ることすら許されず、毎月それぞれの教室に移動図書館のように小さな本棚に本が巡回してくるだけだった。図書室に入って本を借りられるのは、夏休みだけで、かつ1度に借りられる冊数がかなり限られていたので、まだまだ読みたい本がたくさんあったのに読めなくて残念だったという印象が強い。

高校では、限られたわずかな時間だけ図書館に入ることはできたが、たいてい何か別のことをしないといけない時間と重なっていて、本を借りるのは事実上難しかった。運良く「図書室の掃除係」が廻ってきたときに掃除の時間に掃除をするふりをしてコソコソと読んだりする程度。そのためか、高校ではあまり図書室の本を借りたり読んだりした記憶がない。

家で家族の誰かが買った小説などは読んでいたが、この、中学〜高校の図書室を思うように利用できなかった頃を境に、物語や小説をほとんど読まなくなってしまった。大学に入ってからはほとんど専門書ばかりを読むようになってしまい、そのまま今に至る感じ。「本はたいてい2〜4千円はする」という感覚になっている… あまりにも久しく物語を読んでいないので、今でも小説を読んで、子供の頃のように頭にビジュアルを膨らませながら読めるのか心配でもある。

高校の頃、最後に読んだ記憶のある小説で特に印象に残っているのは、パール・バックの『大地』。 [asin:4102099018:detail] 母がこれ面白いよと買ってきて家族で順に読んでいた。末っ子なので次の巻が廻ってくるのが待ち遠しかった。

今読みたい本はたくさんあるけど、今のところ読みたいのは専門書ばかり。たまには小説を読んでみたい気もするけどなぜか時間が惜しい気がしてしまう。本当は時間は充分あるのに。

スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考 f:id:align_centre:20131011012207j:plain

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