今年は「国連生物多様性年」とされている関係で、今年に入ってから「生物多様性」という言葉をより一層頻繁に目に耳にするようになりました。そんな中、1月18日に「生物多様性オフセット」に関するシンポジウムが開かれたそうです。
「生物多様性オフセット」とは、「カーボンオフセット」からも類推できるように、土地の開発などで失われた生物多様性を別の場所に「復元」して相殺(?)しようというものです。いかにも欧米人が考えそうな発想ですが、少し前に「自然の動物園化? 〜「生物多様性」の意義と「動的平衡」〜 - white croquis」で触れたように、目に見えるものだけにフォーカスする、自然を動物園のようにとらえる発想に思えてなりません。少なくとも、自然を要素還元主義的(機械論的)にとらえる欧米の価値観だからこそ生まれたものであることは明らかでしょう。
この「生物多様性オフセット」は、大陸である欧米を中心に50以上の国で導入されているとのことですが、果たして日本の地理や生態系にそのまま適用できるものなのでしょうか?
今回のシンポジウムはCOP10に向けて、日本においてはなかなか討議される場の少ない「生物多様性オフセット」の現状認識と課題について、日本の実情を鑑みると同時に、海外の第一人者による法制化にいたる事例紹介や企業の関わり等のお話を頂きます。
とあるので、そのあたりの議論がされたのではないかと思いますが、大学で生態学を学んでいた者として、直感的に日本には馴染まないのではないか?と考えています。
例えば、この本をご存じでしょうか。
ISBN:4061329774:detail
古い本ですが、川の上流である森の生態系が開発によって変化したことで、河口沿岸部の海の魚まで影響を受けること、生態系とは目に見える範囲だけではとらえられないことを示した好著です。特に、日本の地形は小学校の社会科で習ったように距離あたりの高低差が大きく川の流れが速いため、山での変化は非常に短期間で海まで波及し、広大な土地をもつ欧米などの大陸に比べてこの影響が顕著に現れます。
「生態系オフセット」では、ある地域の開発を行った際に、「HEP(ハビタット評価手続き)」という方法を使って、「そこ」で失われた生態系の価値を定量化することで評価を行うそうです。そしてその定量化には、「そこ」の生態系を代表する種に着目して指標とするようです。「ハビタット(habitat)」とは、ある生物の「生息地・生育地」を表す生態学用語ですが、この用語にも現れているように、動的な「環境状態」ではなく人間が目視できるある特定の生物種を中心にとらえた、その生物のための環境としての概念です。果たしてそれは生態系の指標になるのでしょうか?
先ほども述べたように、日本では影響する「生態系」として考慮すべき範囲は、平坦で広大な地形の多いアメリカ大陸などと異なり、山の上から海の中まで広い範囲にわたっています。そうすると実際にこの手法が適用できる範囲は、非常に限られたものになるのではないでしょうか。日本には馴染まないのではないか?と考えたのには、一つは日本の地形に起因するこうした事情があります。
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20090805/101977/?P=1
環境省_[自然再生事業における諸外国の事例](環境省 自然環境局)
今回のように日本への欧米型「生物多様性オフセット」の導入を急ごうとする背景には、国際的・経済的な側面がありそうです。
第1回「生物多様性は実は経済の問題だった!」(足立直樹)− 特集:問われる生物多様性 - 日本経済新聞 (Internet Archive)
上の記事でも触れられているように、そもそも「生物多様性」という考え方の背景には環境活動をビジネスに結びつけようという動きがあります。二酸化炭素の排出権取引を伴うカーボンオフセットと同じように、経済活動を環境活動の駆動源にすることで経営者の重い腰を動かそうということなのでしょう。環境活動をビジネスに結びつけること自体は、継続的な動機を生み出すという点で評価すべきですが、デカルト的な要素還元主義の価値観に基づいたロジックで行おうとするところが、最も懸念する点です。
ほとんどの人々や主要なメディアが要素還元主義的なとらえ方に終始している現在においては、「生物多様性の本当の意義」は十分議論されていないように思います。脳科学と脳神経科学の混同と同様に。「生物多様性」についてネット上で検索していた中で、唯一本質にせまっていると感じたのは養老孟司氏のインタビュー記事でした。
「言葉」ではなく「感覚」で生物多様性を理解することが大切(養老孟司さん) - 特集:問われる生物多様性 - 日本経済新聞 (Intrnet Archive)
さすがは養老さんは「わかっている」方でした。この記事の文脈からは「生物多様性のオフセット」という発想が生まれる余地がないのがわかるでしょうか。この「日経エコロミー」の養老さんへのインタビューで、もう一つ特筆すべきものがありましたので、あわせて紹介しておきます。
「エコの壁」(上) 環境問題はなぜ理解できないか | NIKKEI NET 日経Ecolomy:インタビュー (Internet Archive)
これは「静的な「完成」から動的な「システム」の世界へ - white croquis」で言いたかった内容にかなり近いものです。
いつの世でも世の中の大勢を占める人(特にお金や力を握っている人)が理解できる概念の範囲内でしか、世界は動きません。自分でも、自分の理解できないことは理解できないというのは自明です。しかし、コペルニクスの地動説を受け継いだガリレオが裁判にかけられたのと同じようなことは、今でも様々な分野で起きています。
「生物多様性オフセット」という言葉を見て、それを作り出した人達の思想の根底にあるもの(「要素還元主義」など)を如実に映し出しているな、と感じてふと書いてみました。
追記:
一部のリンク先を Internet Archive に修正しました。(2013.11)