Webサイト構築において、サーチエンジン最適化(SEO: Search Engine Optimization)を考えることは、今では当たり前のこととなっている。
GoogleやYahoo!を初めとするサーチエンジンは概ね、収集したコンテンツを参照リンクやキーワードなど様々な要素からランキングをつけ、参照数が多いなど価値が高いと判断されるサイトやコンテンツに対して、高いスコアを与えて検索結果の上位に表示されるようにしている。
しかしスコアを上げることだけを目的にして、意味のないリンクを張ったりトリッキーなことをすると、当のサーチエンジンからはスコアを下げられたり閉め出されたりしてしまう。そして、そのいたちごっこにもなっている。
そこでふと思ったのが、「SEO」と試験対策としての「試験勉強」は何か似ていないか? ということ。
「SEO」は「試験対策」のようになっていないか?
「試験に受かるため」に丸暗記をして、実が伴わずそれだけで合格できるような資格は、資格としての価値は自ずと下がってしまう。例えば、ソフトウェアの利用に関する「○○社認定試験」に合格しても、実務で使えるかどうかは別の話というのと同じことだ。資格を見て判断する側は、資格が技能や能力の真の証となることを望んでいる。
これをSEOに当てはめてみると、「サーチエンジンのスコアを上げるため」に見た目上は不自然なページにしたり内容に直接関係のない大量のリンクを張ったりすると、一時的にはスコアが上がって確かに検索結果の上位に表示される(=合格)といことになるかもしれない。しかし、サーチエンジン各社が上位に来ることを望んでいるのは、社会や人類にとって価値あるコンテンツであったり、Webの秩序に貢献するような「適正な」コンテンツだ。
ある技能や知識を日頃から地道に習熟していれば、特に試験対策の勉強をしなくても自ずと試験に合格することもある。
同様に、真っ当なコンテンツを真っ当な方法で作って、それがWebの世界の中で価値があると認められれば、自ずと検索結果の上位に表示されることがある。
合格することにしか意義を感じないか、試験をきっかけに勉強することに意義を感じるか。
ほんの一時的であっても検索結果の上位に表示させることに情熱を注ぐか、社会的に認められることに情熱を注ぐか。
Google やサーチエンジン各社の賢い戦略
こうしてみると、サーチエンジンは「サーチエンジンに最適化させる」という動機をサイト制作者に抱かせることで、Webの世界の秩序を作ろうとしているのではないか?とも思える。サーチエンジンに最適化されたサイトやコンテンツは、Web標準に準拠して論理的な構成に破綻がないものになっているだろうし、それは結果としてコンピュータで意味の抽出などの処理がしやすい情報となる。
コンピュータで意味情報の処理をしやすいWebコンテンツというのは、いわゆる「セマンティックWeb」の考え方にも通じる。
Googleなどのサーチエンジン各社は、SEOという動機を広く与えることによって、知らぬ間にメタ情報に頼らないセマンティックWebの実現に向けて、着々と下地づくりを進めているのかもしれない。なんと賢いやり方。